私の知っている彼は、とてもずるい人だという事だけ。
いつも笑みを絶やさない、たとえ怒りが心の中にあったとしても。
「どうしたのですか?雪村くん」
目の前に居る山南さんは、いつも通りで。
優しい笑みを唇に浮かべたまま、私を見ていた。
「…少し、考え事をしていて……」
言いかけて、口篭る。
悩んでいたというのは、目の前に居る貴方の事であったから。
「………そうですか」
少しの沈黙の後、山南さんは悲しそうに微笑んだ。
察しの良い彼の事だ、私の考えなどお見通しなのだろう。
(…いつだって)
皆の一歩前を歩いていて、誰にでも優しく接してくれて。
それでいて厳しくて、尊敬のできる素晴らしい人物だった。
だった、のだ。
(……どうして…)
どうして彼の腕は治らないのだろう。
(………どう、して…)
どうしてこんな事になってしまったのだろう。
(……なんで)
私の腕と、彼の腕を交換出来ないのだろう。
どうして、どうして、どうして。
疑問だけが頭の中を駆け巡って、落ち着くことが出来ない。
冷静になれない、それは貴方の心の痛みの所為。
でも、冷静になれないくらい苦しいのは、貴方も同じで。
「…大丈夫です」
彼は苦笑しながら私の髪を、美しい白い指で撫でた。
何が大丈夫なのか、こんなにも辛そうに微笑んでいるのに。
こんなにも、人に弱みを見せないように頑張っているのに。
報われない、それが何よりも腹立たしかった。
「……だから」
どうか泣かないで、そう呟かれて、私は目を見開いた。
山南さんの綺麗な手が、私の目元を優しく撫でたからだ。
ぽろり、と雫が零れ落ちる。
それは彼の手を静かに濡らす。
「泣かないで下さい。…私は……」
大丈夫です。
先ほどよりも苦しそうに、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「私の所為で、誰かが泣くのは見たくありません」
そう言いながら、優しく私の涙をぬぐってくれる。
その瞬間、私は自分が泣いているのだと実感した。
泣いているのかさえ分からないほど、彼の悲しみが伝わってくる。
深く苦しく、そして痛い。
「…ごめん、なさ……っ」
謝りたくても、上手く言葉が伝えられない。
そんな私を見て、山南さんは微笑んだ。
それは心から笑っていると言っても良い様な、安らかな笑みで。
「…貴方に泣かれると、弱いんです」
ぎゅっと抱きしめられて、何度も何度も頭を撫でてくれた。
子供扱いされてるんだって分かってる。
けれども、貴方への愛しさが止められない。
止まることを知らないかのように、次から次へと溢れてくる。
「私はもうすぐ、本当に使い物にならないくらい狂ってしまう」
そうしたら、と言いながら、私に小さな口付けを落とす。
それは一瞬の出来事で、唇に彼のぬくもりを少しだけ感じた。
「……一緒に死んでくれますか?」
その誘いには、乗っては駄目だと分かっている。
けれども、心がそれを裏切る。
「…何処までも」
答えは、もう既に決まっていたのだ。
貴方を何よりも、愛しているから。
「何処までも、貴方の傍に……」
瞳から、涙がまた零れ落ちた。
愛しさ故に…
私は狂う、貴方の為に。