日が暮れて、夜になった。
灯りをつけなければ、部屋の中は真っ暗な闇に包まれる。
夕食も済ませた、剣術の稽古も終わった。
……それなのに、何かが足りない。
「なんだろ…」
何が足りないんだろう。
………血?
「…相当、ヤバイな」
羅刹となった自分は、もう血がなければ生きていけない。
その所為で、大切な人を傷つけてしまった。
血欲しさに、その身を引き裂いて、奪ってしまった。
私の血をあげます、と言ってくれた大切な愛おしい存在。
(俺は……ずるい)
口では大切だと、心では大切だと、言っても、思っても。
結局は、彼女の血を飲むのではないか。
美しい肌を、傷つけた。
掌を、傷つけた。
心を、傷つけた。
……どうしようもなく、会いたい。
「……千鶴」
愛おしい、その名前を呼ぶ。
会いたい、会いたい、会いたい。
顔を見たい、話したい。
……抱きしめたい。
無理な願いだと分かっても、声は言霊となって、願いを呟く。
「…千鶴」
ひとつ。
「……千鶴」
ふたつ。
みっつ、よっつ、いつつ。
思いは、心から溢れ出し、いつしか呪文の様に呟かれる。
「千鶴……」
馬鹿だ馬鹿だ、どうしようもなく馬鹿だ。
言葉にしても、会えるとは決まってないのに。
「千鶴…っ」
それでも。
会いたい気持ちを抑えられない。
「………千鶴」
「何ですか?」
突然、襖の向こうから声がした。
沖田は驚いて、後ずさる。
「なっ……千鶴?」
「あ、はい。すみません、土方さんが沖田さんに用事があるらしくて、それを伝えにきたんで……っ!?」
沖田は襖を乱暴に開くと、外に立っていた千鶴を、強引に腕の中へと引き込む。
温かい、人のぬくもり…千鶴のぬくもり。
安心する、触れ合うだけで。
(まさか、居るとは思わなかった…)
叶うとは、思わなかった。
「…あの、沖田さん?」
「……なに」
話しかけられ、千鶴の肩にうずめていた顔を上げる。
嫌がれたか、不振に思われたか。
沢山の不安が駆け巡る。
後先考えずに行動を起こすなんて、新撰組失格だ。
そう重いながら、沖田は千鶴の顔を見つめた。
すると、ふわりと自分の顔を何かが包んだ。
「ぇ……」
千鶴の着物の袖だった。
沖田の目元を、優しく拭って、心配そうな顔をしている。
「な、何を……」
「じっとしてて下さい。…掌で擦るより、こうした方が、赤くならないから………」
そう言いながら、千鶴は優しく沖田の涙をぬぐってくれる。
千鶴に言われて、はじめて気付いた。
……自分は、泣いているのだと。
「……泣いてる、のか」
「お、沖田さん!?大丈夫ですか……?」
千鶴は、初めて泣いている事に気付いた沖田を、心配そうに伺う。
どこまでも純粋で、優しい目。
「…大好き」
「え?」
何を言われたのかが分からなくて、千鶴は聞き返した。
「好き好き好き好き好き。……大好き」
「お、沖田さん…っ!?」
焦った様に、千鶴は真っ赤になった。
……可愛い。
………愛おしい。
そう思うと、沖田は再び千鶴を強く抱きしめた。
「沖田さん、何を…」
「黙って」
千鶴の口を塞ぐように、強く口付ける。
「……もう少しだけ、このままで」
そう言って、千鶴の肩に顔をうずめる。
千鶴は返事をしないまま、沖田の背中に手をまわして、ポンポンと優しく叩いた。
そんな仕草さえも、欲しい。
全部が、欲しい。
足りないんだ。
全然、足りない。
どんなに沢山の血よりも、君が足りない。
嗚呼、君が欲しくてたまらない。